彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。
幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と 呼ばれるであろう。 主のみまえに先立って行き、その道を備え、
『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である。
またその先祖たちのようにかたくなで、 そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、 その魂が神に忠実でないやからと ならないためである。
われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。
また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。
光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。
主を恐れることは知恵のはじめである。 これを行う者はみな良き悟りを得る。 主の誉は、とこしえに、うせることはない。
もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。
心のあやまれる者も、悟りを得、 つぶやく者も教をうける」。
かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。
それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。
わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
「それゆえイスラエルよ、 わたしはこのようにあなたに行う。 わたしはこれを行うゆえ、 イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」。
主よ、あなたは柔和な者の願いを聞き、 その心を強くし、耳を傾けて、
この事は、にわかになされたけれども、神がこのように民のために備えをされたので、ヒゼキヤおよびすべての民は喜んだ。
アハブはエリヤに言った、「わが敵よ、ついに、わたしを見つけたのか」。彼は言った、「見つけました。あなたが主の目の前に悪を行うことに身をゆだねたゆえ、
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
王に言った、「主はこう仰せられます、『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようと使者をつかわしたが、それはイスラエルに、その言葉を求むべき神がないためであるか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。
彼は答えた、「わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです。
サムエルはまた言った、「イスラエルびとを、ことごとくミヅパに集めなさい。わたしはあなたがたのために主に祈りましょう」。
預言者イザヤによって、 「荒野で呼ばわる者の声がする、 『主の道を備えよ、 その道筋をまっすぐにせよ』」 と言われたのは、この人のことである。